HISTORY

日本初の本格的リゾートホテル

明治11年(1878年)、日本のリゾート史黎明期。
富士屋ホテルは、箱根・宮ノ下に産声を上げました。
それから140有余年、激動の時代、高度成長の時代を乗り越え、お客様に育てられ、一歩ずつ成長してきました。
明治時代からの富士屋ホテル成長の軌跡をご紹介します。

 

明治
Meiji

創業

Monday,
July 15, 1878

ESTABLISHMENT

バルコニーのある3階建ホテル

横浜で事業を行っていた山口粂蔵の養子・仙之助は明治10年(1877年)に宮ノ下で外国人専門の旅館を経営することを志しました。藤屋旅館を買い取り、翌明治11年(1878年)、神風楼支店「箱根宮ノ下富嶽館富士屋ホテル」として開業します。以前から外国人を宿泊させていた奈良屋旅館には外国人向け設備があったものの、建物も経営も日本式のものでした。そこで富士屋ホテルは建物を一新し、洋館を建設するとともに、パンや肉類も毎朝小田原から宮ノ下に取り寄せるなどして洋式のサービスを提供したのです。



SENNOSUKE
YAMAGUCHI

富士屋ホテルの祖

山口仙之助 1851-1915

養父・山口粂蔵が支配人を務めていた横浜・神風楼で外国人と接した経験から、国際観光にいち早く着目し、富士屋ホテル創業へと導いた。道路の拡張など箱根への貢献は多大である。

創設者の山口仙之助は、日本の美の象徴である「富士」の名を冠したホテルをつくり、さらに外貨獲得のため外国人のみを宿泊客とするそれまでの旅館業では考えられない新しいホテル業を生み出しました。
仙之助は二十歳の時に日本を立ち、ゴールドラッシュで沸くサンフランシスコなどで皿洗いなどの苦労を重ねました。海外での多くの経験が富士屋ホテル創業の原点といえます。

復興

RECONSTRUCTION

1883年12月12日、
大火が宮ノ下を焼き尽くす

1883年12月12日、大火が宮ノ下を焼き尽くす

明治16年(1883年)、宮ノ下の一軒の家からの出火がまたたく間に燃え広がり、大火となりました。
これにより富士屋ホテルは建物だけではなく、開業から6年間の記録をすべて焼失してしまいます。
仙之助は養父である山口粂蔵の援助を受け、翌明治17年(1884年)7月には客室12室の平家建洋館一棟(後にアイリーと命名)を竣工させました。横浜から木製のベッドを取り寄せるなど、これが本格的な西洋ホテルへの幕開けとなったのです。

大正
Taisho


SHOZO
YAMAGUCHI

正造

SHOZO
YAMAGUCHI

新進気鋭のホテルマン

山口正造 1882-1944

金谷ホテル創業者・金谷善一郎の次男。18歳で渡米。英国で7年間ホテルのボーイなどをして帰国後、仙之助の養子となり、富士屋ホテルの経営を預かる。英米のサービスを積極的に富士屋ホテルに取り入れ、仙石ゴルフコースの開設にも尽力した。

3代目社長・山口正造は富士屋自働車の創設、箱根ホテルの開業、食堂棟・花御殿の建設など、ホテル経営者として型破りで華やかな多くの実績をのこしてきました。その手腕を見込まれ、フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル新館の支配人に抜擢された時期もありました。一方で突如襲われた関東大震災や忍び寄る第二次世界大戦など多くの危機に見舞われました。実父と養父から受け継いだ日本の新しいホテル経営を体現すべく、時代の荒波のなかで常に挑戦する姿勢を崩さず、商機をつかんで現在のホテルサービスの礎を築いたのです。

山口正造 1882-1944

金谷ホテル創業者・金谷善一郎の次男。18歳で渡米。英国で7年間ホテルのボーイなどをして帰国後、仙之助の養子となり、富士屋ホテルの経営を預かる。英米のサービスを積極的に富士屋ホテルに取り入れ、仙石ゴルフコースの開設にも尽力した。

震災

THE GREAT KANTO EARTHQUAKE of 1923

THE GREAT KANTO
EARTHQUAKE of 1923

関東大震災と箱根

大正12年(1923年)9月1日11時58分、南関東を中心に最大震度6の大地震が発生しました。箱根も大きな被害を受け、富士屋ホテルでも本館・西洋館は、煙突・屋根瓦が大破。庭園内の施設も全壊。和風建物、台所も大きな被害を受けました。一方、建物の損壊よりも大平台から宮ノ下までの道路などの被害が甚大であったため、富士屋ホテルでは宮ノ下警備隊を組織し、地域の治安維持や復旧のために尽力しました。

昭和
Showa

KENKICHI
YAMAGUCHI


山口堅吉という男

山口堅吉 1903-1968

三重県桑名で蝋燭屋を営む商家であった倍井家の四男として生まれる。早稲田大学卒業後、日本郵船株式会社に入社し、外国航路の客船でパーサーとして勤務。その後、創業者・山口仙之助の次女・貞子の婿として富士屋ホテルの経営に携わる。1941年から5年間にわたって温泉村の村長も務めた。

山口正造の死後、終戦、接収、ホテル経営移管など激動の時代に富士屋ホテルの舵取りを担った4代目社長。温和・堅実な性格で、正造がつくった富士屋ホテルの経営を維持する方針をとりました。時代の要請に応え、仙之助の本館、正造の花御殿に次ぐ、フォレスト・ロッジ(現フォレスト・ウィング)の建設にも尽力しました。


WORLD
WAR
II

富士屋ホテルの第2次世界大戦

昭和20年(1945年)に第2次世界大戦が終結すると、日本にある50ほどの主要ホテルは進駐軍によってただちに接収され、アメリカ軍の施設として運営されることとなりました。富土屋ホテルはこの年の10月20日、日本政府の方針も立たないうちに接収され一般の営業は停止となったのです。昭和29年(1954年)7月6日に一般営業が再開されるまでこの接収は続きました。

平成
Heisei

大改修

BIG RENOVATIONS

「平成の大改修」始動

平成25年(2013年)に耐震改修促進法が改正されたことに伴い、耐震診断を実施した結果、お客様と従業員の安心安全を最優先とする耐震工事を行うことを決定しました。今回の改修工事では、「何世代にもわたる人々とともに、そこにあり続けるという価値」を伝えるため、伝統の継承と新技術を組み合わせたリニューアルを実施し、建物の価値の本質をのこしました。「ゆるやかな復原」「木造ならではの空間づくり」「新技術と伝統継承」という設計方針は、富士屋ホテルのお客様と従業員が代々重ねてきた信頼が生み出す、暗黙の設計図だったのです。

ANNIVERSARY

Sunday, July 15, 2018

クラシックホテルの
パイオニアとしての誇り

平成30年(2018年)7月15日、富士屋ホテルは140周年を迎えました。お客様の永年のご愛顧に対しまして重ねて御礼申し上げます。富士屋ホテルを育んできた箱根の歴史、時代を反映する特異な建築、そして時を超えて受け継がれてきたホテルのサービス。これらを大切にしつつ、これからもクラシックホテルのパイオニアとしての誇りを胸に新たな歴史を刻んでまいります。

令和
Reiwa


GRAND OPENING

Wednesday,
July 15, 2020

新時代のクラシックホテル・グランドオープン

明治、大正、昭和、平成という激動の時代を駆け抜けた富士屋ホテルは、令和2年(2020年)7月、2年間にわたる「平成の大改修」を終え、全館リニューアルされた新生・富士屋ホテルとしてグランドオープンします。数々の天災、戦禍をくぐり抜けた建物群は、時代に見合った安全性、快適性を備え、懐かしさと新しさが交差する新時代のホテルとして生まれ変わります。