SINCERITY

この上ない誠実を

明治11年(1878年)の創業以来140有余年、建物・設備・サービスは時代とともにその姿を変えてきましたが、唯一、変わらず継承されてきたものがあります。それは、日本の心、「おもてなし」の精神です。この精神は「至誠」という社是として現在の富士屋ホテルに生きています。「この上なく誠実な事、まごころ」。時を超えて、富士箱根の自然とともに人々を魅了しつづけているのは日本精神の結晶といえる、この「至誠」。それは日本の象徴「富士」の名を冠したホテルにふさわしい、夢の結晶でもあります。

 

MAIN DINING ROOM—“THE FUJIYA”魅了

最も富士屋らしい場所

昭和5年(1930年)に竣工したメインダイニングルーム「ザ・フジヤ」。3代目の山口正造が造り上げた特別な空間は、富士屋ホテルらしさを味わえる場所として、今も変わらず多くのお客様を魅了し続けています。そこでは、歴代の料理長より受け継がれてきたフランス料理が提供されています。天井には636の植物が描かれ、壁面には干支をはじめとする人間道徳を表す動物たちが彫られています。荘厳な佇まいのなかに自然への畏怖を映し出した富士屋ホテルの精神は日本人の精神そのものといえるのです。

WE JAPANESE日本人

ビジュアル日本民俗図鑑!

昭和5年(1930年)頃から、メニューの裏には日本の文化、風俗、習慣、芸術などについての短い文章が掲載されていました。外国生活が長かった正造は、ホテルを訪れる外国人客が欲しがっている情報は、日本ならではのエピソードであることを分かっていたのです。カード状のメニューは毎日印刷され、食卓で話題にのぼりました。文章は青山学院の酒井温理教授が執筆しており、後に『We Japanese』として出版されました。これはまさに、富士屋ホテルが伝えようとしていた日本精神の解説書なのです。

TRAINING SCHOOL夜止屋

「夜止屋(ヤドヤ)」からの脱却

花御殿完成の頃、富士屋ホテルは多くの旅館経営者の子女を受け入れ、そのサービスは日本のホテル業界を牽引するものとなっていました。そこで、昭和5年(1930年)、合理的な経営とホスピタリティを活かしたサービスの教育を行う「富士屋トレイニングスクール」を開校しました。当時の旅館は「夜止屋(ヤドヤ)」と呼ばれ、夜の時間をしのげればよいというものでしたが、正造は手厚いサービスと近代経営を目指していました。記録によると日本で初めて原価計算をしたホテルも富士屋ホテルだったといいます。

SALON社交

社交の場となった山の舞踏会

山の中にあったこの富士屋ホテルでは、長期滞在する宿泊客のために、多くのレクリエーションが生み出されました。前庭でのアフタヌーンティーや映画会、ビリヤードやゲーム、そしてカスケードルームでの舞踏会など。宿泊客はひとときの娯楽を楽しむと同時に、宿を同じくする異国の来訪者たちと文化、芸術の情報を交換していました。箱根の山奥に誕生した洋館は、宿泊施設としてだけではなく、社交場「サロン」としての役割も果たしていたのです。

FUJIYA HOTEL MUSEUM史料

140年に思いをはせる時間

富士屋ホテルの廊下「ルードラペ」「パレス通り」には壁にブースが設えられ、従来より展示ギャラリーとして機能していました。かつて、山口正造は食堂棟の「昇天閣」に宿泊客を案内し、そこでホテルの歴史を窓からの眺めとともに案内していたといいます。花御殿地下1階の南東の角には「史料展示室」が開設され富士屋ホテルに滞在する方々の知的好奇心に応えてきました。今回の平成の大改修においては、先人たちの志を継ぎ、史料展示の拡充を図りました。

SAFETY安全

火災・地震からお客様を守る

富土屋ホテルはかつて宮ノ下の大火で初期の建物を消失しました。さらに関東大震災を経験し、全従業員で力を合わせてその苦難を乗り越えてきました。防火体制にはことのほか注意をはらってきましたが、戦後接収の際に進駐軍がもたらしたのは、さらなる防火への意識向上と衛生管理でした。さらに、今回の平成の大改修により、さらなる建物の耐震性・耐火性の向上が実現しました。これからも、お客様の安心・安全と、文化財に指定された富士屋ホテルの建築群を守り続けていきます。

DARUMA達磨

七転八起「不撓不屈」の精神

大正12年(1923年)、正造は箱根ホテル株式会社を設立し、芦ノ湖畔に箱根ホテルを建設しました。多くの財界人に出資を募り、その船出は順風満帆に思われました。しかし完成の1ヶ月後、関東大震災が箱根を襲います。箱根ホテルは見るも無残に倒壊。さらに再建した箱根ホテルも、昭和5年(1930年)の豆相地震により再び倒壊してしまいます。失意のどん底にあった正造のもとに、友人から1枚の水墨画が贈られました。そこには「不撓不屈」の精神を表す達磨の絵が描かれていました。生涯、正造の支えとなったこの絵は今も富士屋ホテルに飾られています。